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武家屋敷が立ち並び、
石畳が敷かれた塩見縄手に位置する旧居
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小泉八雲旧居
明治24年(1891年)5月から11月までの6カ月間、セツ夫人と共にすごした家が、所有者である根岸家の手によってほぼ当時のまま保存され、公開されている。 |
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長屋門を抜けると、薄紫の花をつけた瑠璃柳(ゆりやなぎ)の木が迎えてくれる小泉八雲旧居。
ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲が中学校の教師として松江に赴任した際、学校関係者から「ヘルン先生」と呼ばれたことから、別名を「ヘルン旧居」という。
武家屋敷に住むことを熱望し、念願叶って当時空き家であったこの家を借りた八雲は、三方に見える庭を非常に気に入ったという。
また、庭に住む小動物——特に「蛙」に対してひとかたならぬ愛情を注いだ。
同じ庭の住人である「蛇」に食べられることを哀れみ、自分の食事に出された肉を蛇に与えて命を救ったというチャーミングな話が伝えられているほどである。
のちに八雲は、ここの庭を随筆『知られぬ日本の面影』の十六章「日本の庭園」のなかで細やかな描写と共に紹介し、絶賛した。
——後日談——
旧居を訪ねてからというもの、帰化したサッカー選手を見る度に、なぜか八雲とこの庭を思い出してしまうのであります。
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