郡上八幡城
永禄2年(1559年)、郡上を統一した遠藤盛数が城を築いた。"内助の功"で知られる「山内一豊の妻」は、遠藤盛数の娘だという説があるという。 |
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郡上八幡城には、人柱になった少女の伝説が残されている。
江戸時代のこと。
城を修理するために切り出された木を台車に乗せて運んでいたところ、ピタリと止まってしまった。
たくさんの人が押しても、ビクともしない。
困り果てていたところへ、農民の娘"およし"が現れて、台車を押すのを手伝った。
すると、不思議なことに、大木を乗せた台車が動いたのである。
およしが手を離すと止まってしまうので、およしは結局、城まで台車を押した。
こうして無事に運ばれてきた大木は、城の大切な柱に使われることとなった。
しかし、今度は立てても立てても倒れてしまう。
そして悲しいことに——倒れてしまうのは人柱をしないからだ、ということになり、およしが選ばれて埋められてしまった、とのことである。
いいことをしたのに裏目に出てしまった、悲しい伝説である。
現在では、郡上おどりの期間中に、お城からほど近い下殿町にて、「およし祭」という名の縁日おどりが行われている。
およしは17歳だったそうだ。 |
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