飛騨の里
飛騨高山の集落博物館「飛騨の里」には、合掌造りをはじめとした飛騨の古い民家が移築復元されており、農山村の暮らしやこの地方に伝わる伝統芸能などに触れることができる。 |
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車輪の形に田を植えた「車田」。現在では、飛騨と佐渡にだけ残されている古式の田
植え方法である |
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五阿弥池に千切った麩をばら撒くと、鯉がたくさん寄ってきた |
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広大な飛騨の里。近くのお土産やさんに鎮座する招き猫も、つられて大きくなった?
ってくらい巨大っす |
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モノクロ映画でしか見られないような風景を目のあたりにして、しばらくぽかんとしてしまった。
大きな池——五阿弥池のかたわらで水車がまわり、田んぼには青々とした稲が育ち、茅葺き(かやぶき)や榑葺き(くれぶき)の古い家がたたずんでいる。
飛騨の里には、3万坪の敷地内に、合掌造りや入母屋造りなど、飛騨各地から民家30数棟が集められている。 |
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飛騨を代表する建築様式である、茅葺きの合掌造りは、屋根が合掌した手の形に似ていることからその名がつけられている。
飛騨地方は、耕地面積が少なく積雪が多い地域のため、室内で営むことができる養蚕がさかんにおこなわれていた。合掌造りは、養蚕の作業場として屋根裏の空間を最大限に利用するために生み出されたものとされており、旧西岡家も高い屋根裏を2階から4階まで区切って養蚕場としていたという。
旧西岡家に足を踏み入れると、囲炉裏に火が入れられていた。
囲炉裏から出る煙とすすは、使われている木材を虫から守り、腐るのを防ぐ役目を果たしているという。 |
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旧西岡家の障子戸からこんにちは |
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お寺の住職が住んでいたという旧西岡家 |
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旧富田家は、鉱山の運搬中継所として使われた入母屋造りの民家である。合掌造りに比べて屋根の傾斜がゆるやかであることから、養蚕を営むスペースが必要なかったことがうかがえる。
この旧富田家で、刺し子の実演をしているおばあちゃんがいる。
布の強度を上げほつれにくくするために、綿布を重ねて一面を細かく縫っていく刺し子。そんな実用性はもとより、縫い目の美しい模様を楽しませてくれる「飛騨刺し子」を生み出す平塚けささんは、大正5年生まれ。86歳という年齢を聞いてびっくりするほど、若々しいおばあちゃんである。
私は、刺し子の刺繍がほどこされた、桜色の団扇を買った。
「田舎の年寄りにとってはねえ、こうして若いひとが来てくれるだけでありがたいことです」
そういって針を動かすおばあちゃんの瞳は、眼鏡のなかで穏やかに輝いていた。 |
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刺し子おばあさんが放つ眩しい笑顔 |
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簡素な美しさをたたえた刺し子 |
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