高山陣屋
明治維新後、そのまま地方官庁として使用されていた陣屋。昭和44年に飛騨県事務所が移転したことによって270年以上続いた役所の幕を閉じ、その後20億円費やして復元修理をおこない、江戸時代の高山陣屋が蘇った。 |
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建物のいたるところに、徳川家の葵紋が施されている。
高山陣屋は、全国に唯一現存する郡代・代官所である。
飛騨が徳川幕府の轄領となった元禄5年(1692年)から明治維新までの177年間、25代の代官、郡代が江戸から派遣され、行政・財政・司法などを執り行っていたという。
雪の多い飛騨特有の、木の板で葺いた屋根——榑葺き屋根(くれぶきやね)に覆われた陣屋は、どっしりと重厚な面持ちをたたえている。 |
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刑事関係の取り調べが行われた「吟味所」は、白い砂利がひかれていることから御白州(おしらす)と呼ばれている。
ここには、当時使われていた責台(せめだい)、抱石(かかえいし)などの拷問道具や、囚人を運んだ囚人駕籠(しゅうじんかご)などが展示されている。 |
鋭利に波打った責台の上に座らされ、膝の上に1枚40キロもある抱石を乗せられた日にゃあ……弁慶の泣きどころはたちまち悲鳴を挙げてしまうだろう。
私が囚人ならば、たちまちギブアップして洗いざらい喋っちまうと思う。
どうせ志の低い罪人になるならば、悪いことに手を出さずつつましく生きていこうっと、なんて思いながら陣屋を後にしようとしたそのとき、都合のよいときだけ鋭くなる鼻センサーが、醤油の焦げる香ばしい匂いをキャッチしたのであります。
高山を歩けば、町のあちこちでみたらし団子を売る屋台に遭遇する。
この土地のみたらし団子は、こってりしたタレをからめたそれではなく、団子の肌に醤油味を染み込ませてあぶった、甘さ控えめのシンプルな味が身上だという。
てなわけで、「陣屋だんご」という文字が躍る魅惑的な暖簾に吸い寄せられた私は、団子に食らいついたのであった。
ちゃんとお金を払ったので(1本60円也)、ひっ捕らえられる心配もございませぬ。 |
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