◆逃げ場となる小テーブル vol.5◆
 一般家庭での宴でもう一つ考えておかなくてはならないのは、子供のことである。もちろん子供も客と一緒に食事をして、親以外の大人に接するのは、社会訓練としても大いに意味がある。しかしそれも年令によるので、あまり幼い子供には宴の意味が分からないし、逆に十代も後半になると大人と一緒は「ウザッたい」と思うようになる。そういう年頃の子はお小道に釣られてウェイターはやってくれても、一緒に食事はごめんというかも知れないし、宴の真っ最中に帰宅して母親に「メシ!」と叫んで雰囲気を壊しかねない。宴の性格によっては、ウェイター役にしろ、そうでないにしろ、子供は客とは別に食事をさせたい場合も少なくない。そういうときに「L/D」をめいっぱい宴に使っていると子供の逃げ場がないのが困る。食事を子供部屋に運んでやるという手もあるが、それも面倒臭いし、子供を追い払うようで可哀想でもある。

 この問題を解決するには台所に食堂とは別の小さな食卓を置けばいい。わが家の台所にもこの小テーブルがあって、ホームパーティのとき、息子たちは大人たちの宴に楽しげに参加することも、自分たちだけでひっそりと台所で食べることも、またその中間として客に挨拶したり会話を交わしたりはするが、帰宅と食事の時間がずれたので食べるのは台所という場合もある。

 こういう小テーブルは日常でも家族がバラバラの時間にとる朝食や、夜食に頻繁に使われているし、休日の夕刻などに原稿を書き上げた私が調理を始めた妻と話しながらここで飲みだし、仕上がっていない料理を肴につまみ食いして叱られたりするのである。

 台所に食卓が据えられた形式が「DK」と表記されることに倣えば、こういう小さなテーブルを小文字のdで表わして、それを備えた台所を「dK」と表記してもいいだろう。


 この楽屋裏の小さなテーブルは配膳台としても大いに役立つ。ホステス役の主婦は、ここにあらかじめきれいに盛り付けた料理や、暖めてから盛り付ける料理用の皿を並べて置けば、自分で運ぶのにも手間が省けるし、アルバイトのウェイターに任せるにしても安心できる。台所の食卓が配膳台として機能する姿は『女たちのテーブル』(Speriaomo che sia femmina 1985マリオ・モニチェリ)に印象的に描かれている。これはイタリアのトスカナ地方の農場を舞台に、どちらかと言えばのんきでだらしない男たちを尻目に、女主人(リヴ・ウルマン)を中心に出戻りの娘や姪や亡夫の愛人、家政婦とその娘などの女性たちが、女主導の新しい家族とも言うべき共同体を作り出して行く物語である。決して富裕ではないが田舎のことなので家は広々としていて、その中で台所、家族が普段の食事をするファミリー・ルーム的な部屋、フォーマルな食堂のそれぞれに計三つのテーブルがあって、時と場合によって使い分けられているが、最後に女性たちがそれぞれのお得意料理を作って晩餐会を催すときに、台所の小テーブルが下拵えと配膳の台となり、その奥に食卓が早えているショットが、宴の準備の華やぎを感じさせた。

 (わが家も、事例として示した『M邸』も小テーブルを備えた台所が食堂と璧で分離されているので「L/D+dK」の型になる。台所がセミ・オープン・キッチンの「L/D/dK」という型もあり得る、一般に台所の小テーブルで調理担当者と他の家族のコミュニケーションが密なときが多ければ、DとdKを分離してもよいという判断に傾きがちである。)



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