祇園祭のはじまり 日程カレンダー 山町/鉾町
祇園祭の魅力 山鉾マップ 巡行日程とお食事処
 
 
 
「山町鉾町」と呼ばれる組織(山鉾の保存会)が出来上がったのは、明応9年(1500年)頃だといわれています。
祇園祭が今のような一大エンターテイメントとなったのは、室町幕府が神事停止を命じた際に「神事これなくとも、山鉾渡したし」と申し出たほどの、町衆たちの熱意があったからこそ。今もその熱意と古くからのしきたりは変わることなく、山町鉾町の人々に根づいています。
1年間ご神体などを収蔵庫に大切に保管。子どもからお年寄りまで、次の年の祭りを心待ちにしています。
ビルの4〜5階にもあたる真木、胴回りを覆う豪華な織物、屋根や軒の見事な彫刻…。「動く美術館」といわれる山鉾は、それ自体が精緻な美術工芸品ともいえます。なぜこれほど美しいカタチが生まれたのか、そのナゾは山鉾のたどってきた歴史に隠されていました。
祇園祭の起源である「祇園御霊会」では厄災をはらうために66本の鉾が立てられました。南北朝時代には、芸能を演じる車付き舞台がこの柱と合体し、今日の「鉾」の原型が出来上がったのです。
また「山」は、祭りで神霊を招くために設置する「作り山」が変化して出来上がったものだとか。
南蛮貿易が盛んだった安土桃山時代には、ペルシャやインドの絨毯、ベルギーのタペストリーなど外国の染織品が数多く輸入され、財を蓄えた町衆たちがこぞって「山鉾」を飾りだします。当時の織物を現代まで伝えている山鉾町も多く、見るだけでも価値がありそうです。祇園祭の象徴である「山鉾」には、それを進化させ伝えてきた京都の町衆たちの思い入れの深さがうかがえます。
ちまきや護符など会所で売られている商品を買うと、山鉾にあがらせてもらえるところがあります。隣接した建物の2階などから鉾や山にあがると、お囃子を間近で聞くことができ、下から見上げるのとはまた違った世界が広がります。ただし長刀鉾など一部、女人禁制の山鉾もあるので確認が必要です。
京都の一部の旧家では、宵山の日に限って、平素大切にしまっている屏風や書画・骨董品などの家宝を飾り、一般に公開する習わしがあります。これを「屏風祭」といい、祇園祭の楽しみ方の一つになっています。新町通や室町通などで町家に人が入っていくのを見かけたら、そこが「屏風祭」の会場。挨拶をして中に入り、拝観させてもらいましょう。博物館の陳列品並のお宝に驚くこと間違いなし!
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