TOP > 京都を知る・学ぶ > 新撰組と京都 > 第1回 屯所跡に残る血と汗と涙 局中法度に散った男たち(2)
新見 錦(局長)9月13日切腹 芹沢一派の粛清に先立ち、乱交の数々をあげ、詰め腹を切らせた。しかし隊記録には新見錦の切腹の記録はなく、代わりに田中 伊織の名で死亡記事と墓もあることから同一人ではないかと思われる。
葛山 武八郎 9月6日切腹 永倉・原田らとともに近藤批判を会津藩へ訴えたことによる組織を守る為の粛清と考えられる。 同調者の永倉・原田・斎藤・島田・尾関らは結成以来の古参であることから謹慎だけの軽い処分としたが、葛山は新しい入隊で、隊内の反体制派を作らせない為の見せしめによると考えられる。
瀬山 滝人 6月21日切腹 婦女に暴行した罪による。
河合 耆三郎 2月12日切腹 公金五十両を横領(紛失)したという罪。
田内 知 1月10日切腹 士道不覚悟(背後から斬られ、相手に逃げられた)との理由。司馬 遼太郎の短編小説「新撰組血風録」の「海仙寺党異聞」を御覧下さい。(フィクションとして) ~~3月20日 伊東 甲子太郎、御陵衛士として新撰組から分離する。
武田 観柳斎 6月22日斬殺 伊東と行動を共にしようとするが拒絶され、別派行動をとり、薩摩に接近したともいわれるが不明。 司馬遼太郎の短編小説「新撰組血風録」の「鴨川銭取橋」を御覧下さい。