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第1回 屯所跡に残る血と汗と涙 局中法度に散った男たち(1)
隊員の増加とともに屯所を移転、局中法度を定め、凄烈な粛清をかさね、鉄壁の組織を確立していった・・・
1 壬生村屯所 文久3年
(1863. 2.23)~
4 伏見奉行所 慶応3年
(1867.12.16)~
2 西本願寺屯所 慶応元年
(1865. 3.10)~
5 新撰組の粛清記録
3 不動堂村屯所 慶応3年
(1867. 6.15)~
新撰組こぼれ話
壬生の屯所には八木源之丞宅、前川荘司宅、南部亀次郎宅(八木邸南側)更雀寺、中村小籐太宅、村会所(坊城通四条南西角)百姓太郎宅(村会所南側)浜崎新三郎宅、四手井友太郎宅などが充てられ、いずれも坊城通と綾小路通に面していた。
八木邸
八木邸(八木源之丞宅)
出自は越前国守護の朝倉一族で、朝倉家が織田信長に滅ぼされたとき、丹波の八木に逃れ、以来、八木姓を名乗る。
文久三年二月、幕府の肝いりと清河八郎の呼びかけに応じて結成された浪士隊の目的は将軍家茂の警護と、京都の治安を維持するものであった。二月八日に江戸を出発し、同月二三日に入洛した浪士隊は、清河八郎の変節宣言を機会に早くも分裂した。後の新撰組となる浪士たちは京都に残留し、清河に同調する浪士たちは江戸へ引き揚げていった。
京都に残留した浪士たちは、京都守護職・松平肥後守御預かりとして新撰組を結成した。
近藤勇・土方歳三・沖田総司・井上源三郎・山南敬助・永倉新八・原田左之助・藤堂平助、さらに芹澤鴨以下、水戸浪士の新見錦・平山五郎・平間重助・野口健司ら合計十三名が八木源之丞方に止宿した。その後、近藤ら試衛館一派は前川邸に移ることになる。
同年九月十八日、かねてから酒癖が悪く粗暴な振舞いが多く、守護職からも嫌悪されていた芹澤鴨一派が、土方歳三・沖田総司・山南敬助・原田左之助らに襲われ、芹澤鴨および同衾していた愛人お梅は絶命、平山五郎も死亡、平間重助は逃亡してそのまま行方不明となった。新見錦はそれ以前に切腹させられており、新撰組は名実ともに近藤・土方体制を確立することになる。
その時の刀傷が、八木邸の座敷や鴨居に今も残されている。
旧前川荘司邸(現、田野製袋所)
この家は元々は八木家の分家だったが、御所に出入りする掛屋で財力もあり、所司代や奉行所、大坂城代にも出入りし、役場の役目も引き受けていた前川本家(六角通小川東入ル)が郷士身分の取得を望み前川家の分家となったものであり、八木家を凌ぐ力を保持していた。
江戸から来る浪士隊の宿泊所について、所司代あたりから前川家に相談が持ちかけられ郷士屋敷のある壬生の地が選ばれたのではないかと云われている。
当時の前川邸
前川邸は当初近藤一派の宿泊所に充てられており、池田屋事変の古高俊太郎が拷問を受けた蔵も当時のまま残っており、山南敬助が切腹した部屋は現在も生活の場となっている。家人曰く、「そんなん気にしてたら生活できまへん」と。
蔵の前の通り庭を挟んで、出入口(勝手口)が坊城通りに面しており,芹沢暗殺の時には、土方たちがそこをくぐって八木邸へ走ったと云われている。
屯所となった北集会所(姫路市本徳寺に移築され現存
西本願寺の起こりは、弘長二年(一二六二)に没した親鸞の遺骨を娘:覚信尼が文永九年に東山大谷の地に改葬し、親鸞像を安置した御影堂(ごえいどう・大谷廟堂)を建立したのが始まりとされている。
寛永以降の新築・移築のもので現存するものとしては、本堂(阿弥陀堂)と御影堂、書院・黒書院・能舞台・四脚門(唐門、別名日暮門)・飛雲閣および浴室・鐘楼などがあるがいずれも国宝・重文に指定されている。
幕末維新に際しては、末寺門徒の多い長州藩との関係から、多くの勤王僧も輩出し、元治元年の禁門の変で敗れた長州藩士を僧の姿に変装させて落ち延びさせたこともあって、明らかに長州寄り勤王派と目された。このため幕府は、元治二年(一八六五)三月、強引に西本願寺北集会所に新撰組屯所を置き、勤王派の活動を抑制しようとしたといわれているが、禁門の変(ドンドン焼け)で家を失った前川本家が、壬生の前川邸を返還して欲しいと奉行所に願い出ている事実もあり、嫌がらせだけのことではないのかもしれない。ただ、大砲の訓練や豚肉を料理する臭いなどで寺側が大変困惑したようである。
本徳寺の柱に残る刀傷
また西本願寺門主の侍臣・西村兼文が新撰組の様子を記録した「壬生浪士始末記」という資料が現存する。
尚、新撰組が引き揚げる際「長々お部屋を拝借した寸志」だとして八木邸に五両、前川邸には十両を差し出したそうだが、八木源之丞が「二年間の家賃としては安いですな」と冗談を言うと、土方が顔を真っ赤にしたとという逸話が残っている。
新撰組が屯所として使用した北集会所は、姫路市亀山の本徳寺の本堂として移築され現存している。
西本願寺へ移っても壬生の八木邸や前川邸には毎日のように誰かが顔を出していた様である。
不動堂村屯所跡とされるリーガロイヤルH前
慶応三年(一八六七)六月十五日、新撰組は屯所を西本願寺から南東の不動堂村に移した。堀川通りの東で、七条通りを下がった地点、木津屋橋の南のあたりである。平成十五年六月十五日にリーガロイヤルホテル京都の一角に屯所跡の碑が建てられた。
新屯所は、どうしても新撰組を立ち退かせたい西本願寺側が、全費用を負担して建築されたものという。
表門・高塀・玄関・長屋などが作られ、大名屋敷と変わらない立派な普請で長廊下の右側には平隊士の部屋が多数並び、左側は幹部連中の部屋であった。他には使者の間まであり、中間小者の部屋も完備し、客舎や物見、厩舎もあり、三十人が一度に入れる大風呂場付きで、西本願寺からは歩いて六分ぐらいのところである。
しかし、十二月十六日に伏見奉行所に移駐することになり、この立派な屯所もわずか半年間使用されただけであった。
六月に幕臣に取り立てられた新撰組にとって、つかの間の栄華であった。
1 壬生村屯所 文久3年
(1863. 2.23)~
4 伏見奉行所 慶応3年
(1867.12.16)~
2 西本願寺屯所 慶応元年
(1865. 3.10)~
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3 不動堂村屯所 慶応3年
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幕末人物伝
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第十話 石山の秋 ―源氏物語成立伝説―
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第八話 運命の宇治 大君と中君、そして薫
第七話 都の龍宮 六条院
第六話 長谷寺の邂逅 玉鬘の遠近法
第五話 業平から行平へ 光源氏の変身
第四話 嵯峨野の夕まぐれ 六条御息所
第三話 東山のけむり 夕顔
第二話 中川の女 空蝉(うつせみ)
第一話 北山の春 紫上(むらさきのうえ)
3分でわかる源氏物語
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【第12回】 新しいまちづくりと京町家
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【第3回】京町家が先か?京都人が先か?
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京の「茶室」
【その9】茶の道具/茶杓(ちゃしゃく)と柄杓(ひしゃく)
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【その12】茶の湯に学ぶ心
【その1】茶の湯と京都
【その2】茶室にみる人々の暮らし
【その3】茶室へのいざない・露地
【その4】茶室へのいざない・躙口(にじりぐち)
【その5】茶室の空間/畳と床の文化
【その6】茶室の空間/床の間
【その7】茶室の空間/茶花
【その8】茶の道具/扱いにみる日本の精神(こころ)
京都の歴史を知る・学ぶ
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新撰組と京都
第3回 池田屋事変を実証する(1)古高俊太郎(2)
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第1回 屯所跡に残る血と汗と涙 局中法度に散った男たち(1)
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第1回 屯所跡に残る血と汗と涙 局中法度に散った男たち(2)
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第3回 池田屋事変を実証する(1)古高俊太郎
特別企画:対談「新撰組」を語る その1
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