源氏物語発見
夕顔(ゆうがお)の遺児・玉鬘(たまかずら)。母は行方知れず。四歳の時、乳母とその夫に連れられて、九州にゆくという数奇な運命をたどる下級貴族の悲しさ、京都に帰ろうと思っても帰れない。
年月ばかりが過ぎ、彼女は二十歳になった。生まれの良さと天性の美貌により九州随一の豪族太夫の監(たいふのげん)に言い寄られる。こんな野蛮な男と結婚させてなるものか。夜逃げ同然、決死の覚悟で京都に舞い戻った。
が、長いブランクで花の都に帰ってもあてがない。あたかも陸に上がった水鳥であった。
実の父は、昔の頭中将、今の内大臣だが、当分会えそうにない。かわいそうであるが、光源氏の膝下にいて、光源氏のいやらしさに悩みつつも、利発な玉鬘は、光源氏の文化を急速に身につける。 光源氏は、玉鬘に忘れられない夕顔の面影を重ね、可愛い玉鬘を刺激しつつやるせない中年の日々をすごす。まるで川端康成の小説のよう。結婚しようと思わぬでもなかったが、紫上より愛する自信がない。 それほど彼は真剣だったのだ。こんな日が長続きするはずがない。彼女はすでに二十三歳。結婚を急がねばならない年齢であった。熟慮の末、大勢の求婚者の中から光源氏は冷泉帝(れいぜいてい)を選んだ。 世間は知らぬがこの帝は光源氏の子である。光源氏は玉鬘を手放したくなかった。自分の身内に繋留したかったのである。実父・内大臣に語り、自分の息子夕霧に話し、たちまち世間に真相が知れ渡る。 事は光源氏の思惑どおりに進んでいっていたのだけれども、寸前で破れた。内大臣の了解を得た求婚者のひとり髭黒(ひげくろ)が、弁という侍女の手引きで玉鬘に踏み込み結婚に成功したのだ。 彼は石山観音にも祈ったらしいから、この僥倖は観音様の現世利益であるともいえる。
玉鬘には観音様がよく似合う。
髭黒は、したたかな政治家で、この結婚を機に光源氏第一の側近となる。光源氏の玉鬘への絶対的な愛情を利用したのである。彼は、光源氏の後ろ盾で最終的には太政大臣となって、位人臣を極めている。 光源氏にしても、髭黒は東宮の叔父。ということは娘の明石姫君の結婚相手の後見人ということで、結果オーライの、苦い結婚であった。
玉鬘は、結婚して光源氏世界のかけがえのなさに気づく。髭黒との結婚生活を「世の常の世界に身を置く」と認識している。髭黒は、その時第三位の政治的実力者であったにもかかわらず、玉鬘はその世界を「世の常」と思っているのである。 この玉鬘認識に導かれ、読者も、あらためて光源氏世界の「世の常ならざる」価値に気付かざるをえない。この時、遠く低い位置に大夫の監がいて、地表に玉鬘の貴族世界がある。 そして、はるか遠く高い位置に光源氏世界が存在しているという構図が成立する。玉鬘は、源氏物語において、この遠近法を身をもって示す存在なのである。
後年、光源氏にも髭黒にも先立たれた玉鬘は、長女の結婚をしくじる。長女は、祖母の夕顔に似て、圧倒的な美貌の人であった。帝にも東宮にも薫にも、特に蔵人少将(くろうどのしょうしょう)には死ぬほど懸想されたが、玉鬘が長女の相手として選んだのは、すでに退位して久しい冷泉院であった。 理由は、昔、光源氏が自分をそうしようとして果たせなかったから、であった。長女は、愛を専らにし、女君と男君を生む。しかし冷泉院後宮の秩序は乱れ、中宮や女御にうとまれた長女は里に帰りがちとなる。
三国志の筆法でいえば、「死せる光源氏、生ける玉鬘を走らす」といったところか。光源氏は死んでも生きていたのだし、玉鬘は、事実はどうあれ、永遠に光源氏の娘であったのである。
ゆかりの地へのアクセス
長谷寺は、紫式部時代における最大の観音霊場。現世利益を求めて貴賤問わず善男善女がひきもきらずに参詣した。玉鬘は京都から徒歩で四日かかっている。お籠りの日を入れると往復十日を要する大旅行であった。現在は、京都駅から近鉄で大和八木駅まで約1時間、そこから近鉄大阪線に乗り換えて長谷寺駅までは10分ちょっと。 駅からは徒歩。初瀬川まで下り、橋を渡ってだらだらと登る。瀟洒な回廊まで約30分。これを登りきれば、昔ながらの巨大な観音様が迎えてくださる。
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