源氏物語発見
六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)は夕顔巻から登場する。当初から重要人物であることは明らかであるが、その履歴の詳細はわからない。
明示されるのは五巻過ぎてから。とはいえ全貌が把握できるかというとそうでもなく、彼女の背後には深い闇が広がっている。
源氏物語の基底でうごめく、どす黒い政治の闇である。
さて、問題は彼女が前坊と結婚した時のことにある。この時、光源氏は九歳。桐壷巻で明らかなように、すでに光源氏の兄が皇太子であった。 したがって、彼女が結婚した相手は、皇太子ではない。皇太子を辞めた、あるいは辞めさせられた宮と彼女は結婚したことになる。 彼女の父は大臣で、彼女を将来后とすべく育てていた。しかし、彼女は十四年前、未来のない結婚をせざるをえなかったのだ。その時、父大臣はすでに故人であった。
この父が、お産で苦しむ葵上に、彼女とともに怨霊となって取り憑いているという短いくだりを見逃すべきではない。 御息所の父は、葵上の父と戦い、敗れ、恨みを呑んで死んだのだ。葵上と六条御息所の女の戦は、二代にわたる政治戦争なのであって、葵祭りの屈辱だけが動機なのではない。 結局、最後まで離れなかった彼女の生霊が、葵上の命を奪う。一瞬の勝利。だが、取り戻すはずの光源氏に、葵上の死因が自分であることを知られ、彼女は光源氏の心を失う。 都を捨て、斎宮に選ばれた娘に付いて伊勢に行く選択しかその時の彼女には残されていなかったのである。
伊勢に行くと知り、重い心を奮い立て、止めに行く光源氏。嵯峨野の夕まぐれ。賢木の葉を贈って再考を促す優しい彼に、彼女の心が揺らぐ。 が、未練を振り棄て、止める光源氏を振り切った形を残して、彼女は伊勢に行く。彼女の名誉がかろうじて保たれた瞬間である。 この野宮(ののみや)のシーンは源氏物語の屈指の名場面である。
その後、光源氏も屈辱の暗黒時代・須磨明石を経験するが、三年を待たずに復活。政界の中央に返り咲く。そのころ彼女も、任期を終えた斎宮とともに帰京する。 が、すでに病におかされ余命いくばくもない。見舞いにきた光源氏に、斎宮の世話を依頼。娘と結婚してはいけないという厳命を残して、その数日後に死んだ。 光源氏は遺言を守り、斎宮を冷泉帝(れいぜいてい)の後宮に入れ、中宮とした。強引な人事であったが、彼は彼女との約束を果たしたのである。
しかし、死した彼女の霊魂は光源氏の傍を離れず、かつて葵上と戦ったように、光源氏の正妻と戦った。紫上を瀕死の状態に追い込み、女三宮は出家させた。 物の怪となった彼女は言っている。娘のことは感謝している。しかし、それとこれとは違う。
彼女は、生きている時も死んでいる時も光源氏を愛した人である。彼女ほど光源氏を愛した人はいない。まさに愛の権化。 しかし、愛に生きるということは執念に生きるということで、往生とは無縁。おそらくは高い木からさかさまに吊るされ猛火に焼かれる地獄絵の人となるのみである。 彼女も、愛が泥沼にほかならぬことはよく承知していて、田圃の泥濘でもがく農夫に自己の姿を見る歌を葵巻で詠んでいる。
袖濡るるこひぢとかつは知りながらおりたつ田子のみづからぞ憂き
(どうせ袖を濡らして泣くことになる恋の道だということは分かっているのです。そうと知りつつ、その泥沼におりてゆく農夫のような自分自身が、我ながらうとましい)
「こひぢ」は泥沼の意味で、「恋路」の掛け言葉。意表を衝く、珍しい歌である。
ゆかりの地へのアクセス
阪急大宮から嵐電に乗り換えて約20分。終点嵐山駅から北々西へ徒歩10分。野宮神社がある。伊勢斎宮が、一年間精進潔斎したのはこのあたりである。 当時の面影は何もないが、昼なお暗い竹藪と小柴垣の道中、神社の黒木の鳥居、高雅で美しい苔庭など、源氏物語賢木巻冒頭の雰囲気をしのぶことができる。 10月第3日曜日には、例祭があり斎宮行列が再現される。野宮神社は、人気の嵯峨野散策の起点。 ここから、光源氏の御堂の地・清涼寺に足を延ばすのが源氏物語マニアというものである。
オススメ本