◆明治〜平成 酒と食 グローバル化の歩み vol.2◆
 敗戦を契機に多様化・ 国際化へ

経済成長とともにひろがる酒と食
 やがて日本は帝国主義の時代を迎える。戦中の食生活は、米不足を補う食糧を確保することが大前提であった。米を原料とする日本酒はもとより、米の不足を補うためのその他の食糧の供給もままならず、国民は統制と配給による生活を強いられた。戦後もしばらくは食糧難が続いたが、昭和20年代半ば頃から国民の生活は落ち着き始める。

 やがて酒類産業も工業化が進展し、大量生産の商品が普及する。昭和34年には装置産業であるビールの消費量が日本酒の消費量を逆転し、高度成長期には、ウィスキーが時代を象徴する酒として一世を風靡する。昭和40年代に入ると、全酒類が金額・数量に関わりなく輸入可能となり、酒についての選択肢はさらにふえていった。また、飲酒の日常化は、明治〜戦前は都市部が中心であったが、その後全国的なひろがりを見せる。ようやく酒は日常化(いつでも飲める)・多様化(何でも飲める)の方向に向かう。

 食のグローバル化も、急速に進行した。東京オリンピックや大阪万国博覧会の開催、海外渡航の自由化などを契機として、海外の食文化についての情報が流入、諸外国からのさまざまな食材の輸入、外食産業の発達なども大きな牽引力となった。このようにして、多くの日本人がさまざまなジャンルの食を味わえるようになった。

 昭和30年代以降になると、食品産業の工業化、スーパーマーケットの台頭、家電製品の普及などにより、家庭内の食も充実するようになる。しかし、各国料理を家庭に取り入れる際には、米食に合うようにアレンジする傾向が強く、本場の味の提供を旨とする外食産業とは明らかに一線を画していた。一方で、米の消費量は、パン食の増加・副食の多品目化などによって、昭和40年代以降減少していく。

 食の多様化・国際化が進み、昭和50年代後半には、日本の食文化はグルメ・飽食の時代を迎え、高級料理や食に関する蘊蓄がもてはやされるようになる。が、その一方で、栄養機能食品や簡便な食材の普及も著しく、過度の情報にわずらわされずに食生活を送りたいという人々が現れるなど、食の分野は二極分化が進んでいく。さらに最近では、”中食“の発達や個人の生活サイクルの多様化による個食化の傾向も進行している。



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