◆明治〜平成 酒と食 グローバル化の歩み vol.1◆
 島国・日本の酒や食は、海外からの影響を多く受けながら発展してきた。
しかし、現在の食生活にもつながる最もドラスティックな動きを見せたのは、なんと言っても明治期以降であろう。
ここでは、明治〜現在にいたるまでの酒と食のグローバル化の歴史を、年表をたどりながら振り返ってみる。

伝統的生活と西洋文化のはざまで
明治〜大正期の 酒と食

 明治政府の大命題は「西欧に追いつき追いこせ」であった。「富国強兵」の名のもと、政府は経済力・軍事力の強化に力を注いだ。明治初期には輸入のみにとどまっていた西洋の食材や酒も、やがて殖産興業政策が推進されると、農産物をはじめ、ビール、ワインなど自国生産をめざすようになった。また、欧米人にひけをとらない身体を作るため、肉・乳製品の摂取が推奨された。白米が全国民の常食ですらなかったこの時代、西欧以外にも栄養価の高い料理があるにもかかわらず、政府の方針が、西欧料理のみを急速に普及させていった。

 こうして西欧の食文化は肉食を中心に戦前頃までには都市部の市民に浸透していく。
 だが、西欧文明を取り入れた豊かな食生活を送ることができたのは、日本人全体の約2割に当たる都市在住者が中心で、一般の意識としては 「本格的な西欧料理や洋食は外で食べるもの」であったことも忘れてはならない。また、「洋食」 が、「主食」の米食に合う「副食」として、西欧料理を日本風にアレンジしたものであることにも留意しておきたい。

 一方、酒に関しては、一部で洋酒が飲まれるものの主流は日本酒であった。かつてハレの日にしか飲めない貴重品だった日本酒は、江戸期から明治期にかけて商品として大量生産されるようになり、明治期には都市部ではケの日でも飲めるものとなった。とはいえ、製品としての全国的な流通は、一升瓶の普及する昭和初期まで待たなければならない。また、この当時の酒と食との関わりは、あくまで「酒を飲むための肴」という関係でしかなかった。

 都市部を中心に酒は日常化が進み、西欧料 理は日本人の舌に合うように「洋食」としてアレンジされて市民権を得ていった。明治・大正期は、酒文化・食文化が新しい時代へと向かう胎動期でもあったと言える。


※このコンテンツは、宝酒造株式会社「TaKaRa酒生活文化研究所」のホームページ(http://www.sakebun.com/)から転載許可のものを掲載しております。

→「酒にまつわるお話」トップページへ
企画・制作/大平印刷株式会社©2001-2004 TAIHEI Printing Co.,Ltd. All rights reserved.
当サイトのコンテンツの全部または一部の無断転載を禁じます。記事に関するご意見・ご感想は こちら までお寄せください。