【第12回】 新しいまちづくりと京町家
これからの京都のまちづくりにおいても、伝統的な京町家が象徴的な景観を形成しつづけることは変わらないでしょう。しかし、確実にその姿が少しずつ失われているのも事実なんです。 その理由は、ライフスタイルが合わなくなって、若い世代が町家に住まなくなった・・・なんてことではないんですよね。興味深いことに、長年住み慣れてきた方々よりも、若い世代ほど京町家を新鮮な感覚でとらえ、興味を持ち、京都の固有の文化として敏感に反応し、保存再生を意識しているんですね。 これはちょっと余談ですが、まだあまり毒されていない(笑)、大学に入学してすぐの建築学科の一年生と話していると、時代の流れと空間意識というのがとてもよくわかります。ほんの5年ほど前までは、新しい創造への不安と、絶望的な都市の破壊のはざまで揺れ動く・・・という、まさに世紀末思想(!)がテーマだったように思います。少し前までは、学生の間には、設計やデザインの手法として、欧米の現代建築的なものがかっこいいんだという感覚がなんとなくあったんですね。ところが、この数年は、新しいものを創ろうというよりは、今あるものと、新しいものを、どんなふうに共存させるかというテーマがほとんどなんです。こういう世代が一番素直に感じているんでしょうね。敷地設定を京都のど真ん中にして課題を与えられると、彼等のうちの8割は、自然に建築や空間にを地下に創ろうとする(笑)わけです。もう、京都には地上に創っちゃいけないと感じてるみたいですね。おまけに、いやしとか自然に近い空間として、和風建築の要素を積極的にとりいれていることが多いんです。授業中に携帯電話を鳴らしたりするような(けしからん!)感覚を持っている反面、神妙な顔つきで環境とか自然とか言ったりするんですから、おもしろいですね。 世界的な都市比較をすると、パリ、ロンドン、ローマなどの古い都市には必ず成熟した大人の文化が充実しています。日本においては、なかなか育ちにくいといわれていますが、唯一、この京都には大人を魅了する文化が長い歴史を通して、幾重にも奥深く蓄積されています。そういった部分がいかにも京都的で、雑誌の特集をにぎわし、観光客が一年中訪れるわけですが、これまでお話してきましたように、ウチとソト、ハレとケ(第一回「京都人と京町家」欄外参照)の思想が、京都に住んでいる私達には根本的にはびこっていて、ついつい、「私には関係ないわ」なんて、京都特有の文化や生活から距離をおいてしまっているような気がします。私もそんなひとりだったのですが、今さらながら京都の文化を客観的に味わいはじめ、ああ、そうだったのかと、その目には見えない人と人とのコミュニケーションの美しさにすっかり魅入られ、つくづく自分は京都に生まれてよかったなぁと思っています。 京都芸術デザイン専門学校専任講師 冨永りょう |