【第1回】京都人と京町家
私は京都に生まれ育ちました。それだけで特別のイメージを持ってくれますので、おかげさまでどこへ行っても、善くも悪くも「京女(きょうおんな)」というブランドがついてきます。その恩恵にどっぷりつかって、いまでも京都を拠点に仕事をしていますが、やっぱり「住む」となると、なんとなく懐深く守ってくれる京都以外は考えられないんですよね。 そんなうら若き頃のこと、ヨーロッパの憧れの都市を歩きまわり帰国したある日、「なんやぁ。こういうの、京都に全部あるやん」と、世界の都市と比べてはじめて、京都という町が持つ文化の奥深さに気がついたんです。“灯台もと暗し”とは、ほんとうによく言ったもので、住んでいるのに全然京都のことを知らないんですよね。東京から観光で来られた方に、「こんなところがあるよ」なんて教えていただいたりする始末で……。 最近、私達にとっての「おうち」が「町家」と呼ばれて話題になっていますが、京町家と呼ばれる住居ってどういうものなんでしょうか? このような京都特有の曖昧さや間接的な物言いと町家の構成は、実はとても似ているような気がします。例えば私が建築を設計する時、京都弁で考える場合と標準語で考える場合とでは、その建築や空間に与えるイメージはやはり変わってくるような気がします。地域性というのは、案外そんなところから生まれるのかもしれませんね。実際に人が住む家の佇まいには、家人の個性というものがとてもよく表れているように思います。古くからある町家や民家というものは、京都に限らず、その地域や住む人の個性を育む「器」の役割をうまく果たしているのです。 もうひとつ京の町家の特質として気になるのは道との関係です。私はここにも京都人らしさがよく出ているように思います。道路に面した町家には貴族の邸宅みたいな垣根も門扉もなくて、一歩中へ入ってもどこまでが玄関なのかわかりませんよね。うっかりプライベートな部分までそのまま入り込んでしまって、びっくりするなんてことになります。このように、町家と通りとの関係や、人と人との関係は、物理的な「ウチとソト」と精神的な「ハレとケ」がお互いにからみあっている存在だということなのです。 現在では、伝統的建造物群という文化財として保護されているところ以外では、町家は中高層マンションに次々と姿を変えてゆきつつあります。私の幼いころと比べると、町並みはすっかり変わってきていますが、これって、やっぱり京都に住まう人そのものが変化してきているってことなんじゃないかなって思います。ちょっぴり、さみしい気もするのですが。 京都芸術デザイン専門学校専任講師 冨永りょう |
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