松崎 宜晃(正的院)
(ホスト役:坂本 良隆) |
(その5)茶と寺と京都 |
坂本: |
以前、南禅寺の法務部長されていたということですが、実際どのような仕事をされるのでしょうか。 |
松崎: |
法要関係と南禅寺本山の什物の管理が主だったことです。現在は、正的院の住職をずっとしています。また、家内の実家が茶道の家元ですので、私も平成7年より家元をまかされ、お茶のお稽古を寺でしながら生活しています。 |
坂本: |
「玉川遠州流」(ぎょくせんえんしゅうりゅう)とお読みするのでしょうか。
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松崎: |
昔からの方は「たまがわ」とおっしゃいます。霊元天皇から流祖大森漸斎居士が賜った号なので、「たまがわ」かもしれません。私は「ぎょくせん」と読んでます。お抹茶とお煎茶と両方あります。
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坂本: |
禅宗とお茶のつながりはあるのでしょうか。
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松崎: |
もちろんありまして、深いつながりがあるからこそ、禅僧の私が引き受けたのです。禅の立場からお茶を通して仏の教えを広めることもできます。村田珠光という方が最初の侘び茶の祖で、そして千利休居士が完成していますが、みんな禅宗の和尚に参禅しています。村田珠光は、一休さんで大徳寺派、利休さんも大徳寺の住職の笑嶺宗訴禅師や古溪宗陳禅師に参じておられます。
「日常茶飯事」という言葉がありますね。茶と飯は日常底の最たることがらです。日常の中に「茶」つまり「仏の教」が存在します。言い方をかえれば、「茶」の中の仏の教は日常のすべてにわたるとも言えます。仏教にふれるには、一般の方はお茶の道が一番わかりやすいのではないですか。世事を離れて、客と亭主がそのお茶をたてる場で一つに溶け込んでいるのですから。お茶をたてる空間、時間は自我を捨てて、本来の自己に立ち返れるすばらしい場なのです。それは禅堂で座禅をして体得するものと変わらないのです。その自我をとっぱらった、本来の自己を日常に働かせていくことが仏の世界に生きることであり、その本来の自己でありつづけることが、お茶で言う「常釜」の本当の意味だと思います。
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坂本: |
お坊さんとして、京都との係わり合いを意識されますか。
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松崎: |
全然意識しません。
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坂本: |
京都に住んで、京都の寺の住職で有ることを看板とは思われない、自然体ということですね。
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松崎: |
でも、有りがたいことにというか、例えばたまに祇園に行ったりしても粗末にはされませんね。それはお坊さんということでですが、特に色街の方はそうですね。髪の毛のある無しでも見た目に区別はできると思いますが。衣を着ていく時もありますし、普段着の作務衣でも行きますので坊さんとすぐわかるでしょうね。中には、背広を着たら全くわからない方もいますけど。
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坂本: |
南禅寺のお坊さんはみな丸めていらっしゃますよね。流派によっていろいろですね。
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松崎: |
「祇園」で石を投げたら坊さんにあたるという話がありますが、あれは当たっているかもしれませんね。
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坂本: |
確かに京都にお坊さんが多いからというのはわかるのですが、どういう事からでしょうか? |
松崎: |
多いだけではなくて、地元の坊さんはあまり行かないと思いますが、南禅寺は南禅寺派の本山ですから、末寺から大勢集まったり、又僧堂のOBが集まったりと地方からお坊さんが出てくるわけです。そうなりますと懐かしい顔が合うと、ちょっと外に行きましょうかという話になって出掛けることも有るわけですね。 |
坂本: |
それは我々の会社と同じですね。地方から出張してきたわけですから会議が終わったら、今晩は祇園に連れていかないとなあという話によくなりますから。 |
松崎: |
それが臨済宗だけで7本山です。南禅、大徳、天竜、相国、妙心、東福、建仁・・・、真言宗が智山派、醍醐派、御室派、東寺派など、滋賀県といっても比叡山も京都に下りて来られるかもしれませんし、東西本願寺さんなどは寺院数で臨済宗の比ではありませんから。そうなりますと、常にたくさんのお坊さんが京都に出てきていることになります。やはり皆さんがよく知っている所は祇園ですから、石を投げたらお坊さんにあたるという話になるのではと思います。 |
坂本: |
祇園の一番のヘビーユーザーという言い方もできますね。 |
松崎: |
つまり各本山が京都にあるという事です。なぜ、京都に集中しているのかを考えると、平安、鎌倉時代と多くの新興佛教があらわれた頃、京都がやはり中心都市だったからでしょう。 |
坂本: |
この対談では、南禅寺の歴史や京都とお寺の係わり合いなどいろいろなお話をお伺いできまして、非常に勉強になりました。京都は歴史の宝庫でありますから、京都の情報を京都在住者また京都ファンに対して「DigiStyle京都」から発信できれば思っております。本日はどうもありがとうございました。 |
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