松崎 宜晃(正的院)
(ホスト役:坂本 良隆)
(その2)南禅寺住職と亀山天皇
松崎 南禅院では、管長が住職ということで、他の人は住職しません。もちろん南禅寺の住職は管長です。
坂本: 有る意味では天皇である亀山天皇が禅寺を興されたこと自体、日本の歴史の中で非常に珍しいことですね。
松崎 亀山上皇は天皇家から禅宗のお坊さんに最初になられた方ということになります。今も国宝として残っている「禅林禅寺祈願事」には離宮を寺にした理由と、今後の寺の有り方を書いておられます。だいたい人間に生まれること自体、有りがたい事。虫にもなり蛇にもなり動物にも生まれるなか、数少ない人間に生まれたという事だけでもありがたい。そしてその中でお釈迦様在世の時代でも、お釈迦様の教えを聞く人は希であった。それが遠くインドから離れた日本にいても教えが聞けた。そしてその教えの中でも、大乗小乗ある中でも大乗仏教のしかも南宋禅、達磨さんからの禅宗の最たるものの話を聞けたということ、それがなんとも嬉しい。それがまた毎日聞けるという楽しみがあるということが書いてあります。そして自分はひょっとしたら前世で十の良い行いをしたからこそ誰にもなれない天皇という最高の位に就けた。就いたらこんどはいつ下にころげ落ちるかという憂いがまだある。そういう憂いの中でも仏教を聞けるという楽しみがある私は、なんと幸せな人間だと書いてあります。そして自分の離宮を寺に変えるという事は来世を頼むのではなく、迷っている衆生を求う為であって自分の為ではない。そのために「三カ村寺領を与える」と書いてあります。その寺領は、今後私が亡くなっても減らしてはならん。それから住職の事についても書いてあり、普通お寺の住職は、師匠から弟子へと受け継がれていきますが、南禅寺は亀山天皇が、東西随一の人をもって住持してもらいなさいと言われてます。
坂本: つまり、よそからでも優秀なお坊さんに住職になってもらっていい。年功序列ではないということですね。
松崎

だから、室町時代は鎌倉から夢窓国師も来ておられるし、法系が違っても多くの立派な方が住職を歴任しておられます。そのおかげで政権が変わっても、南禅寺だけは栄えてきたという一面も持っているという事になります。

坂本: 優秀な人材をあまねく広く選ばれていることを当時から対応しておられたことは、すごいことですね。
松崎 「十方住持制」と言います。どこからでも招いて来なさいという事です。更に我が子孫であっても、権威を傘にきて南禅寺の住職になってはいけないとも書いてあります。ですので、今の大河ドラマのあの雰囲気はあたっていないと私は思います。
坂本: そうですね。亀山天皇はもっと立派な天皇であったということになりますね。でも、この書物は、中身もさることながら国宝として綺麗に残っていることは素晴らしいですね。
松崎 京都の大火や応仁の乱などで何度も南禅寺は全壊してますから、その時、あるお坊さんが持って逃げて、身をていしてお腹の下で燃える難を逃れたという事です。

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