松崎 宜晃(正的院)
(ホスト役:坂本 良隆)
 南禅寺正的院のご住職の松崎 宜晃(ぎこう)さんを迎え、「京都とお寺について」というテーマで、語っていただきます。南禅寺の歴史、京都とお寺の関係、さらには禅とお茶についてなど、京都に根付く文化をわかりやすくお話いただいています。ゆっくりとご覧ください。
(その1)南禅院が南禅寺発祥
松崎 僧侶になったきっかけは、母親の父が僧侶だったからです。僧侶とは全く関係のない神戸大学理学部に入学したのは、とりあえず貧乏寺だったので教師でもしないと食っていけないのではないかと思って、同じ勉強するのであれば好きな学部の方がええのかなと思いました。
坂本: 結果的には先生におなりにならなかったのですね。
松崎 修行していると食うぐらいはなんとかなるという思いで。
坂本: お坊さんらしからぬ学歴ですね。まず南禅寺のことについて伺います。
資料を読ませてもらいましたが、奥が深く歴史があり、亀山法王の時代から始まっていること、数ある禅寺の中でも最上位のお寺であることなど、勉強いたしました。今の時代に京都での南禅寺の位置付けで意識していらっしゃることはありますか?
松崎 やっぱり、興りが普通の寺と違いまして面白いので、私自身、自慢にはしています。もちろん今大河ドラマで亀山天皇が出てきていますが、あの映し方はちょっと気にいらんのですが。
だいたいはこの辺りは亀山天皇の離宮であり、40歳で剃髪しておられました。鎌倉幕府とのやりとりでその前の天皇の後深草天皇、弟の亀山天皇が継ぎ、そのあとその皇太子が後宇多天皇となられた時に、鎌倉の北条時宗から、天皇家の継承に対して幕府から干渉が入ったとのことです。やっぱり兄の方が継ぐべきだと。その時、政治に嫌気がさされて離宮に引っ込まれました。その当時、剃髪するには関係者に計り、きちんと正式に法皇になるべきところを、突然仁和寺の和尚さんについて剃髪されたとのことです。それも異例なことです。
ところがそういう時代ですから離宮に妖怪がでた、「妖怪の変」ということがありました。たくさん女官がおられて、物のない所で物音がしたり、物がなくなったりと。その妖怪を静めるために当時有名なお坊さんを呼んで、祈祷をしてもらったりしたらしいのですが、30日も護摩を焚いて祈祷をしてもらったけれど、全くおさまらなかった。最後に東福寺、当時禅宗はあまりなかったが、東福寺第三世になられた無関普門禅師になんとか退治してほしいとお願いしたそうです。亀山天皇は、40歳そこそこ、無関普門禅師は70歳を越えておられたと聞いています。無関普門禅師は「妖は徳に勝たないからそんな必要はない。」と言われたが、そう言わずにとお願いしたそうです。そして妖怪が出るという離宮に20人ほど雲水を連れて、別段変わったお経を読むわけではなく、東福寺で行なうのと同じ事をしました。今も各僧堂が行っている禅堂生活です。その普段の生活通りにしました。そうすると妖怪がピタっと出なくなった。亀山天皇はその時、非常にびっくりされたと思います。それまでは、祈祷をして国の平安を祈るとか、そういうことが仏教だと思っておられたのでしょう。
坂本: その普段通りが、禅宗の考え方ということになるのですね。
松崎 日常生活の中に、仏教がある事に初めて気が付かれて、ああ本当の仏教はこういう事なんだと、自らも無関普門禅師のお弟子になり、離宮をそのまま禅寺に変えてしまわれました。それが今の水路閣の上の南禅院あたりということです。
坂本:

料理旅館「菊水」の名園
われわれがいつも通る山門からはかなり離れたところですね。現在、体験イベントが出来る場所になっていますが、南禅院が南禅寺発祥ということは初めて知りました。
(※参考)
後嵯峨天皇(88)→ 後深草天皇(89)→伏見天皇(92)→後伏見天皇(93)
亀山天皇(90)→後宇多天皇(91)→後醍醐天皇(96)

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