E-TOKO深草地域ライターのたけばです。
今回は初めに珍しい獅子・狛犬を紹介しましょう。
全身鮮やかな朱色で、頭部だけが灰色。木造に彩色されたもののようです。
こんなデザイン、他では見たことがありません。この獅子・狛犬は、古御香宮(ふるごこう)にあります。
豊臣秀吉が伏見城築城の際、御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)を城の鬼門(北東)に移し、災いを防ごうとしたそうです。
鬼門とは、陰陽道で鬼が出入りする方角とされ、忌み嫌われました。ところが、神の祟りがあったので、徳川家康が元の場所(現在の御香宮神社)に戻したというのです。秀吉が造営した社殿は江戸時代末期に大破しましたが、その後、新しい社殿が建てられ、古御香宮と呼ばれるようになったとか。
今でも、御香宮神社の祭礼では、神輿が立ち寄る御旅所になっています。
この古御香宮があるのが、深草大亀谷古御香町。
ずいぶん長い町名です。隣は深草大亀谷東古御香町で、漢字が10個も並んでいます。現代は、郵便番号を打ち込めば町名までポンと変換される時代。郵便もかつてほどは使いませんが、何でも手書きだった時代なら、年賀状の宛名書きだけでペンだこができてしまったかも。
長~い町名との長~いおつき合いは、大変だったでしょうね。
他にも、深草大亀谷金森出雲町、深草大亀谷東久宝寺町、深草大亀谷西久宝寺町が漢字10文字。
これは全国的にも珍しいのではないか…と思って調べました。しかし残念、京都市内だけでも、右京区には嵯峨二尊院門前善光寺山町(12字)をはじめ、嵯峨〇〇門前〇〇町などという10~11字の町名が14か所もあり、南区にも吉祥院西ノ庄猪之馬場町という11字の町名がありました。上には上があるものですね。
話を戻しましょう。
深草の長い町名についている「大亀谷」が気になります。大亀谷がつく町名は全部で18を数えます。
大岩山をピークとする丘陵と桃山の間で、南東から北西へ帯状に延びる比較的低い地域になります。その真ん中を墨染通が通っています。
大亀谷の地名の由来には、諸説あります。
その1つが、徳川家康の側室「お亀の方」から来ているというものです。お亀の方は、後に尾張徳川家の祖となる家康の九男、義直を生みました。お亀の方ゆかりの寺院である清涼院の住所は、義直の幼名五郎太丸に因む深草大亀谷五郎太町。
1つの町名の中に親子の名前が入っていることになります。
「お亀」という女性の名前とする説には、もう1つあります。
伏見城があった時代、京から宇治へ向かう街道に茶屋があり、切り盛りしていた「お亀」は、美人の誉れ高かったとか。これが大亀谷と呼ばれるようになった由来だというのです。
さらに、伏見城の時代よりはるか昔の、こんな話もあります。
6世紀の欽明天皇のころ、深草に住む秦大津父(はたのおおつち)という人が伊勢での商いから帰る途中、稲荷山南麓で2匹の狼が闘って血まみれになっているところに出会い、神の使いであるあなた方が争うべきではないといさめたという『日本書紀』に載るエピソードです。
そして「狼谷」が転じて「大亀谷」になったというのです。秦氏といえば伏見稲荷大社とも密接に関係していることから、狼が後に狐に取って代わったという人もいます。
家康の側室にしろ、茶屋の主にしろ、ピンポイントに住んでいた一個人の名前が広い地形の名称になるのでしょうか。
それより、たくさんの狼がいた谷間の呼称という方が、私には納得がいくように思います。「オカメ」から「オーカメ」への変化より、「オーカミ」が「オーカメ」に変わったという方が自然な感じがします。
何はともあれ、地名の背後には、その土地が辿ってきた歴史が隠れています。その歴史を後世に伝えようとした昔の人々の思いが、長い町名を生んだのかもしれません。
店舗・施設名 | 古御香宮(御香宮御旅所) |
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住所 | 京都市伏見区深草大亀谷古御香町20 |
交通 | JR奈良線「JR藤森駅」下車徒歩約5分 |
Writerたけばしんじ
Writerたけばしんじ
深草地域の文化「保存・継承・創造」プロジェクト実行委員、伏見チンチン電車の会代表、ステンシル作家、その他得体の知れぬ肩書が複数。
あまり人に気付かれることのない、実生活には無関係な重箱の隅を、穿った視点で追究してみたいと思います。
1987年日本大学文理学部史学科卒業。本業は教育関係。