こんにちは。デジスタイル京都スタッフのイタクラです。
今回は、京都国立博物館で3月27日から展示が始まっている「凝然国師没後700年 特別展『鑑真和上と戒律のあゆみ』」についてご紹介します!
京都に愛着があってこのブログを担当させていただいている私。
子どもの頃から通算すると、京都のお寺に数えきれないほど参拝してきました。
でも、この展覧会を見て、改めて「私は今まで、お寺を訪れるとき何を目指して行ってたんだろうなぁ?」と考えるきっかけになりました。
みなさんは、なぜお寺に行かれますか?
私は庭園が好きなので、お庭の拝見が目的になることが比較的多いです。
そのほかにも、障壁画に注目したり、季節の花を愛でたり。
時には秘仏公開に合わせて、「この仏様をひと目見てみたい!」と出かけることも。
いずれにしても専門的なことは分からないので、例えば、庭の場合も石組みや植栽について分析するわけではなく、その空間に身を置くことが心地よくて訪れているような気がします。
お寺に行くと、心が落ち着く――。
この理屈や知識抜きに、「感じる」ことも一種の宗教体験と言えるのかもしれません。
また一方で、仏教の教えについての書籍などは継続的に人気がありますし、私自身も各宗派の違いなどに興味があり、お寺とは離れたところで知識を得てきたように思います。
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そこで、今回の展覧会に話を移しますと、テーマは「鑑真和上と戒律のあゆみ」。
京都国立博物館の資料を参考にしながらご紹介しますと…
■戒律とは?
・「戒」とは、仏教徒が守るべき自律的な行動規範
・「律」とは、僧侶が守らなければならない規則
つまり、「戒律」とは、お釈迦様の教えを実践するための行動規範と規則のことです。
規範とは、お手本や理想とすべき姿、そのための心構えのような意味合いですので、
「仏教徒や僧侶が、日々どのような心構えで、どんな規則を守りながら生活すればよいか」をまとめたものだと言えます。
会社でいえば、
・お釈迦様の教えを説く「教学」が社是
・「戒」は社訓
・「律」は社則や就業規則
に当てはまります。
「戒」には罰則がありませんが、「律」には罰則があるところも会社と同じですね。
そして、この「戒律」を学ぶことは、「僧侶とは、仏教徒とはどうあるべきか」の問いを追求することを意味し、日本では仏教革新運動をリードする重要な意義を持ったそうです。
その戒律を中国から日本に伝えたのが鑑真であり、その後も数々の祖師たちが社会の変化に応じて「教学」「戒」「律」を見直し、仏教を日本社会に浸透させようとしてきました。
戦乱や飢饉、災害、疫病、そして政治の混乱や社会の不平等など…、人々の苦しみや絶望に希望の光をもたらすためには、僧侶としていかに釈迦の教えを解釈し行動すべきか。
そんな「戒律運動の歴史」は、そのまま日本の仏教の歴史でもあるわけです。
■この展覧会の概要と見どころは?
鑑真の遺徳を唐招提寺の寺宝によって偲ぶとともに、その後戒律の教えが日本でたどったあゆみが、宗派を超えた名宝によって紹介されています。
歴史的・美術的価値のある名宝を鑑賞できるのはもちろんですが、それらに「戒律のあゆみ」という軸を通して総覧できる展示になっています!
しかも、展示室を巡るごとに、時代を追って仏教界の個性的なスーパーヒーローたちが現れ、それぞれの仏教の解釈、情熱や活躍ぶりが紹介され、生き生きとした日本仏教史を学ぶことができるんです。
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では、実際の展示物の一部をご紹介していきましょう。
こちらの鑑真和上坐像(国宝)は、45年ぶりの京都での公開。
唐招提寺の寺外公開は12年ぶり、京都国立博物館では昭和51年(1976)の「日本国宝展」以来です。
間近に見られるからこその注目ポイントは、その写実表現の迫力です。まつ毛やあごひげの一本一本まで繊細に表現されていて、まるで生きてそこにおられるような存在感。
鑑真への信仰の深さがありありと伝わってきます。
鑑真(688~763)は中国での地位をなげうち、戒律を伝えるために日本への渡海を試みますが、5回にわたり挫折し、6度目にしてようやく日本の地を踏みました。
「東征伝絵巻 巻二」では、その厳しい旅の様子がドラマチックに描かれています。
こちらの国宝は、鑑真が日本にもたらした仏舎利を泰安するために制作された豪華な舎利塔です。仏舎利とはお釈迦様の遺骨のこと。
戒律運動の基本には、常に釈迦への原点回帰が見られ、仏舎利は釈迦信仰のよりどころとなりました。
こちらは唐招提寺講堂にかつて安置されていた木彫像の一体で、2019年に国宝に指定されました。
顔立ちがとってもエキゾチック。仏教はインドで始まり、中国から伝わったものであり、“本場の仏像”なのだという印象とありがたみを、当時の人も抱いたのではないでしょうか?
その後、平安時代には仏教がより民衆救済に向き合うようになり、最澄(767、一説766~822)が登場します。
「戒律は守られなければ意味がない」。そして、釈迦から時代も地域も隔たった当時の日本では、「戒律をそのまま守り得ない」と考え、最低限の規範を守る大乗戒に注目します。
この思想は大きな転換点となり、平安時代から鎌倉時代にかけて、浄土宗の法然(1133~1212)や浄土真宗の親鸞(1173~1263)、日蓮法華宗の日蓮(1222~1282)に継承されていきます。
一方、空海(774~835)は唐から密教を伝え、従来の戒律を重んじたほか、三昧耶戒と呼ばれる特有の戒を実践しました。
鎌倉時代後期を代表する弘法大師像。
空海が生きた時代から約500年後に制作されたとは思えないほど、生き生きとした表現です。
密教で三昧耶戒を授ける際に用いられた戒体箱。
天台宗に学び浄土宗を始めた法然は、「念仏だけで救われる」と説きつつも、生き方の指針としての「戒」を大切にしていました。授戒の師としても知られ、この場面でも後鳥羽院への授戒を行っています。
真言宗泉涌寺派の俊芿(しゅんじょう 1166~1227)は「戒律は本場で学ばなければ」と33歳にして中国・南宋に渡った学究の徒。
この肖像画も、当時の中国における高僧像の最新スタイルです!
鎌倉新仏教と呼ばれる仏教革新運動において、戒律は重要な役割を果たします。
覚盛(かくじょう・1194~1249)、叡尊(1201~1290)は唐招提寺、西大寺をそれぞれ拠点として戒律を復興し、現在の律宗と真言律宗の基礎を築きました。
この叡尊の像はまるで対面しているかのようにリアルで、鎌倉肖像彫刻の傑作のひとつと言われています。
自らは厳しく戒律を守り、飢えや病気などでいわれなき差別を受けていた人の救済に心血を注いだ、叡尊の慈悲深い人柄がにじみ出ているかのようです。
■天球儀 宗覚作 江戸時代 17~18世紀 大阪・久修園院
■地球儀 宗覚作 江戸時代 元禄15年(1702年) 大阪・久修園院
最後の展示室で印象に残ったのが、この大阪枚方市の久修園院に伝わる、天球儀と地球儀です。
この頃西洋から、仏教の須弥山世界という世界観を根底から覆すような天文学や地理学が流入してきます。この両者の矛盾から逃げることなく向き合った宗覚(1639~1720)の切実な姿勢がうかがえます。
展示では明治期に至るまでの戒律のあゆみが紹介されていて、まだまだこれ以外にも見どころはいっぱいです!
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さて、冒頭のお寺に行く目的の話ですが、この展覧会を見て、「今までそのお寺が大切にしている『活動の核の部分=戒律』について、ほとんど知らずに訪れていたなぁ」と痛感しました。
宗派や歴史の概略は知っていましたが、「戒律に対してどのような立場を取ってきた歴史があるのか」という視点からお寺の存在を捉えてみると、今まで何気なく目にしていたことがもっと意味を持って迫ってきそう!
空間に身を置いて「素直に感じるままに理解する」ことも大切にしつつ、これをきっかけにもっと学んで、たくさんの京都のお寺を訪れてみたいなぁと期待感がふくらむ展覧会でした。
京都国立博物館では、この展覧会に関連して、記念講演会が計4回開かれます。
■4月3日(土) 「 律とは何か」
講師:上杉 智英(京都国立博物館研究員)
■4月10日(土) 「 日本の戒律運動と日本人」
講師:大原 嘉豊(京都国立博物館保存修理指導室長)
■4月17日(土) 「 俊芿と宋代戒律の日本への影響」
講師:西谷 功 氏(泉涌寺宝物館「心照殿」学芸員)
■5月8日(土) 「 鑑真和上とゆかりのみ仏たち」
講師:淺湫 毅(京都国立博物館上席研究員)
詳しくは展覧会の公式サイトをご覧ください。
店舗・施設名 | 京都国立博物館 |
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住所 | 京都市東山区茶屋町527 |
電話番号 | 075-525-2473 |
営業時間 | <3月27日~5月16日> 9:00~17:30 <5月18日~7月22日> 9:30~17:00 入館は各閉館の30分前まで |
交通 | ・京阪「七条」駅下車、東へ徒歩7分 ・京都市営バス「博物館・三十三間堂前」下車すぐ |
お問合せ先 | 075-525-2473(テレホンサービス) |
ホームページ | https://www.kyohaku.go.jp/jp/ |
Writerデジスタイル京都スタッフ
Writerデジスタイル京都スタッフ
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