御霊神社 本殿
御霊神社は、京都市上京区にある神社。上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)とも呼ばれ、最寄りは市営地下鉄「鞍馬口」駅。1番出口から東へ徒歩3分ほどの場所にあり、上京区と北区にわたる広大な地域の氏神様として、広く信仰を集めています。
神社の起こりは、794年の平安遷都の頃。平安京の守り神として、早良親王(さわらしんのう)の神霊を祀ったのが始まりとされています。
早良親王は、要人の暗殺に関わったぬれ衣で幽閉されて、非業の死を遂げた人物。死後に疫病の流行や皇族の不幸などが相次いだため、その御霊を慰めるために、天皇の称号が与えられ、崇道天皇(すどうてんのう)として祀られています。
非業の死を遂げた魂を、丁重に祀って鎮めることで、その威力を借りて平穏と繁栄を得ることを御霊信仰といいます。御霊信仰は平安時代に盛んにおこなわれ、祇園祭をはじめとした京都の夏祭りの多くは、この御霊信仰のおまつりである御霊会(ごりょうえ)です。
御霊神社でも、毎年5月18日に御霊祭が開かれ、鉾や神輿、御所車などの渡御行列を見ることができます。
応仁の乱発端の地の石碑
平安時代から続く歴史ある神社。せっかくお参りしたなら、境内も散策してみましょう。実はここ、一部の京都人が先の戦争と呼び、京都を焼け野原にした「応仁の乱」発端の地でもあるのです。
応仁の乱は応仁元年(1467年)に、畠山義就が畠山政長を襲撃した、御霊合戦が発端となっています。襲撃された政長が陣を構えていたのが、この御霊神社。境内には、応仁の乱発端の地の石碑もあります。
この石碑の表字は、第79代 内閣総理大臣の細川護熙氏によるもの。細川氏は、応仁の乱の東陣総大将だった、細川勝元の子孫なのです。なんだか歴史のロマンを感じますね。
牛車が納められた蔵。皇室を表す「菊の御紋」が入っています
御霊神社には、ほかにもたくさんの歴史的な見どころがあります。伏見城の四脚門を移築したと言われている南門や、江戸時代中期に内裏から下賜された、賢所権殿を作り改めたという絵馬所。
中には、江戸時代初期、後陽成天皇が上皇時代に寄進したとされる、非常に貴重な牛車が納められた蔵も。この牛車は、御霊祭の渡御之儀で、道ひらきの神である猿田彦神をまつり、先導する役割を担っています。
楼門(西門)前にある鳥居にも「菊の御紋」が
この牛車の蔵のほかにも、御所の守護神として皇室の尊信が深い御霊神社には、各所に皇室を表す菊の御紋が見られます。
さらに、江戸時代後期の元禄3年(1690年)には、松尾芭蕉がここを訪れ、「半日は 神を友にや 年忘」という句を奉納しています。境内に句碑があるので、探してみてくださいね。
境内のキンモクセイの木
取材時、境内はキンモクセイのよい香りに包まれていました。こちらではほかにも、季節ごとにさまざまな植物が楽しめます。
江戸時代に尾形光琳によって描かれた、国宝「燕子花図屏風」は、当時境内に流れる小川に群生していた、カキツバタがモデルという説があるそうです。なんでも、神社の近くに光琳の住居があったのだとか。真偽は定かでありませんが、そういう話が出るほど、うつくしかったのでしょうね。
第2次世界大戦後に、この小川がなくなり、姿形のよく似たイチハツを植えられました。イチハツの見頃は5月初旬です。さらに、本殿裏手には紅葉や銀杏の木もあり、11月の下旬頃には見事に色づきます。
穏やかな様子の境内は、疲れた心をなぐさめるのにもピッタリかもしれません。
店舗・施設名 | 御霊神社 |
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住所 | 京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495番地 |
電話番号 | 075-441-2260(受付9:00~17:00) |
営業時間 | 9:00~17:00まで(季節により変更あり) |
交通 | 地下鉄『鞍馬口』1番出口から徒歩約3分 |
駐車場 | なし |
Writer二木繁美
Writer二木繁美
学生&独身時代を京都で過ごしたイラスト&ライター。
イラストレーターとして活動しつつ、おでかけ記事を中心に執筆。好きなものはパンダと新幹線。一眼レフで写真も撮ります。