京都を舞台にした小説をはじめ、京都を案内する本、京都の歴史や文化について解説してある本などなど、47都道府県ある中でも「京都」ほど取り上げられている都市はないのではないでしょうか。この連載では、京都で活動するライター2人が交代で、何かしらのカタチで京都が登場する本&本を通して見る「京の町」を紹介します!
今回の担当=油井康子
日本三大祭りの一つと数えられる祇園祭。7月の1ヶ月間続く長丁場のお祭りだが、有名なのは「宵山」とその翌日の「山鉾巡行」である。私が初めて宵山の夜に鉾町を歩いたのは、20代半ば頃だったろうか。そのあまりの規模ときらびやかさに、すっかり圧倒されてしまった。
天高くそびえる巨大な鉾や、可愛らしい仕掛けで子どもたちを喜ばせる山が建っている。豪華絢爛な屏風や地域に伝わる文化財級の家宝が、京町家の中に誇らしげに鎮座する。祇園囃子と共に、地域の子どもたちが「京都の通り名の唄」を歌い、続いて澄んだ声で「お守りどうですか~粽どうですか~」と斉唱する。道路の両脇に、ありとあらゆる屋台がひしめき合う。観光客がその間をギュウギュウ詰めになって散策する。観光客とは明らかに違う、粋な着物姿の男女が祭りに花を添える。思わず「なんじゃこりゃあ」と呟いたが、その呟きはもちろん喧騒の中に消えた。
そんな宵山を舞台とするのが『宵山万華鏡』(森見登美彦/集英社文庫)である。本書では、6編の宵山にまつわる物語が収められている。可憐な少女やアホな大学生、かつて宵山の夜に娘を失った画廊の店主…。さまざまな登場人物の目線で描かれる祭りの夜の光景は、きらびやかで鮮やかで、同時に少し恐ろしくもある。
「宵山姉妹」では、鉾町にあるバレエ教室に通う姉妹の不思議な宵山体験が、妹の視点で綴られる。「どこまで行ってもお祭りが続いているようで、まるでお祭りがどんどん増えて、街を呑み込んでしまったようだと彼女は思った。」
やがて姉妹ははぐれ、息苦しいほどの不安の中、祭りの夜をさまよいながら日常と非日常の間に迷い込んでいく。
「宵山金魚」は、風変わりな高校の同級生・乙川と再会した純朴な藤田が、宵山見物のさなかにある事件に巻き込まれてしまう。
「恐るべし京都、恐るべし祇園祭、恐るべし宵山。素人の俺が、一人でほっつき歩くべきではなかったのだ。」
呻くように藤田は煩悶する。「孫太郎虫」「超金魚」「宵山様」などなど、奇想天外なものが次々に登場するのに「宵山ならありそう」と思えてくるのが不思議だ。
読み進めるうちに、バラバラに見えていた物語は次第に繋がりを持ち、祭りの一夜が織りなすさまざまな景色が浮かび上がってくる。お腹を抱えて笑いたくなる場面もあれば、胸が締めつけられる切なさもあり、じわりと怖さがにじみ出てくるような物語もある。くるくると、万華鏡のように目まぐるしく変わっていく世界の余韻に圧倒されながら、本を閉じた瞬間また繰り返し読みたくなる。人混みも暑さも煩わしいと思う大人になってしまったが、時間が許す限り宵山をさまよってみたいと思う。「宵山様」にとっちめられるのは御免蒙りたいけども。
祇園祭は平安時代の「御霊会」を始まりとする八坂神社の祭礼。宵山で山鉾が建てられるのは、東洞院通~油小路通で、神社から西へ1.5kmほど離れている。本書では八坂神社は
「祇園祭というからには八坂神社が本拠地だと理屈では分かっても、縦横無尽に祭りが蔓延して、どちらの方角に八坂神社があるのかさえあやふやである。」という記述に留められているが、祇園祭の期間中は八坂神社境内でもさまざまな神事や伝統芸能の奉納が執り行われる。
本書が刊行された5年後に「後祭」が復興し、「前祭」と同様に宵山もある。お祭りはますます増え、多彩な表情を見せるようになっている。
Writer油井やすこ
Writer油井やすこ
京都郊外在住ライター。幼少期の一番のお気に入りスポットは図書館。現在の趣味は積ん読。怖がりなのに怪談やミステリも読めるようになり、ようやく大人になったと感じている。
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