TOP  > 京都の観光情報  > 京のお守りおみくじVOL.8  > 誓願寺

賑やかな新京極に面した誓願寺。飛鳥時代に天智天皇が神のお告げによって阿弥陀如来像を造立。667年に七道伽藍の建物と共に奈良に開かれた。都が平城京から長岡京へ移ると共に、伽藍と共にそのまま移築された。現在の場所に移ったのはそれからさらに後の秀吉の時代。女人往生のお寺として知られていた誓願寺は秀吉の側室、松の丸殿の信仰も厚く6,500坪の境内に18もの寺院や塔が建てられ、現在も周囲の寺院を統括するお寺である。門前の迷子のみちしるべや、様々な年中行事も見どころのひとつ。写真左は毎年行われる節分祭の様子。お坊さんとともに出てきたのは先斗町の舞妓さん。本殿で豆まきをした後、お経を唱えながら三条~四条間をねり歩く。
ここでまかれた福まめにはくじがついていて、新京極商店街からも景品が。地元に密着した誓願寺ならではのお祭りだ。最近お目見えした新京極通の顔見せ写真のボード(写真左)で記念撮影も忘れずに。新京極の場所がら、若い世代の人たちにも気軽に親しんでもらいたいとDJを招いての音楽ライブなども行われ、お寺のパンフレットも、思わずほしくなるイラスト入り(写真右)。技芸に由緒のあるお寺としてエンターテイメントあふれる一面を持っている。

誓願寺第55世(ちなみに現在は102代目!)の策伝上人(さくでんしょうにん)は落語発祥の開祖。人々の心を「オチ」のある笑い話でなごませながら戦国時代の荒れた世の中を布教してまわった。文人や茶人としての才能に溢れ、これらの話をまとめた著書を残したものが現在の落語のタネ本になったとのこと。現在も毎年10月の初旬の日曜日には、奉納落語会(入場無料)が催され、若手の落語家が芸を披露する場を設けている。

 

扇は現代でも日本舞踊から落語まで幅広く使われ、さらには平安時代の上流階級の女性たちの生活に欠かせないものであった。誓願寺は和泉式部が娘を亡くし、祈りを捧げる場所を求めて最後にたどりついたお寺。式部はこの地でなくなり、その後歌舞の菩薩としてあらわれた言い伝えもあり、多くの舞踊家の信仰を集めるようになったことで扇子を奉納する習慣が生まれた。

 
市バス「河原町三条」下車徒歩5分

お守りのお授け所に一緒に置かれているこの茶ふきんは誓願寺に伝わる「誓願寺絵巻」に描かれた和泉式部を再現したもの。鮮やかな黄色がポップな印象に。参拝の記念として、ハンカチのようにふだんづかいできるものなので、いつも持ちたくなる逸品です。

 

 
 

グループで楽しむのにおススメのお店。河原町の中心に位置していて便利度も◎。リーズナブルな価格で創作料理が楽しめる。「今晩のおきまり」コース\2,500には「本日のおばんざい」も含まれており、京都の味も楽しめる。

●所在地 中京区河原町三条下ル あじびる河原町5階
●電話 075-223-1431
●営業時間
11:30~23:00(ラストオーダー:22:00)
●定休日 年中無休