2024.10.18 - 2024.12.26
2024.09.03 ~ 2024.12.15
※新型コロナウイルス感染拡予防の観点等でイベントが中止や延期・開催時間が変更になっている場合があります。事前に公式サイトなどでご確認ください。
きらきら耀く並河七宝は、並河靖之(1845~1927年)と職工たちにより、 この地で創製されました。有線七宝技法による製作が特徴で、金属を素地とする器胎の上に、図柄の輪郭線(アウトライン)を金属線で模り、ガラス質の多彩な七宝釉薬で色を挿す工程を経て、焼成、研磨します。仕上がると、金属線と釉薬の色、独創的な容(かたち)が相まって、妙なる光彩を放ち、見る人の心に美しい光を満ちわたらせました。
靖之の生家は、近江栗太郡六地蔵梅ノ木の武家・高岡家(武州川越城主松平大和守家臣)で、父・九郎左衛門は川越藩京都留守居役を勤めていました。そのため靖之は京都で誕生し、1855年(安政2)、数11歳で縁戚の並河家に養子に入り家督を継ぎ、青蓮院門跡坊官を務める家業にて、天台座主・青蓮院宮入道尊融親王(後の久邇宮朝彦親王)に仕えました。
おりしも、時代は幕末維新の激動期で、主人が被る境遇に翻弄され、先行きへの不安が絶えず、靖之は朝彦親王に仕える傍ら、当時、新産業として注目された七宝業に飛び込みました。1873年(明治6)から七宝の製造を手掛け、1878年(明治11)に専業とし、実業の世界で紆余曲折を経ながら、やがて自身の七宝業を究めて、日本の七宝を世界に冠たるものとしました。
日本の七宝業は近世初期に遡り、江戸幕府お抱えの七宝師・平田道仁(1591~1646年)を祖とする一族が技法を相伝したため、幕末の尾張藩で梶常吉(1803~1883年)が独学で技法を開発し、尾張七宝の産地が隆盛すると、早くも海外市場を目指し、近代七宝業が胎動しました。明治維新後、産業としての将来性が期待され、京都、東京、神奈川、山梨、埼玉など、各地で着手された新興産業で、19世紀の万国博覧会を通じて、高い技術力で世界を驚かせ、外国人たちが抱く、日本の文化や歴史に対する評価と理解を一新し、世界中の人々を日本へ、京都へと誘いました。
しかし、1923年(大正12)に並河七宝が閉業した大正期末以降、七宝業全般が縮小し、国内ではいつしか忘れ去られ、再評価されるまでには、今世紀に入るのを待たねばなりませんでした。今日、日本の古典文学や現代アート、アニメ、ゲーム、音楽など、日本文化は世界中を魅了していますが、並河七宝をはじめ明治の工芸も、日本を代表するものとなりました。
近代七宝の研究は途上にあり、並河七宝や明治の七宝業は、未だに分からないことも多くありますが、並河家に遺され、当館に受継がれた様々な資料を紐解きながら、「並河七宝の光彩―色と容の玉手箱」をテーマに、並河七宝の魅力をご紹介いたします。
2023年春のリニューアルより、通常非公開の二階を特別公開いたします。主屋二階からは、東山の眺望とともに、庭園を見下せます。
※詳しくはホームページをご参照ください。
会場 | 並河靖之七宝記念館 |
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日時 | 2024年9月3日(火)~12月15日(日) 10:00~16:30(入館は16:00まで) |
住所 | 京都市東山区三条通北裏白川筋東入堀池町388 |
交通 | ●地下鉄東西線東山駅下車1番出口より徒歩3分 ●JR・近鉄京都駅前(A1のりば)、阪急烏丸駅・河原町駅、京阪三条駅から市バス5系統岩倉行きで「東山三条」又は「神宮道」下車徒歩5分 ●市バス201、202、203、206系統で「東山三条」下車徒歩5分 |
駐車場 | なし(※駐車場はございませんので、お車でのご来館はご遠慮ください) |
料金 | ●大人(一般): 1000円 (900円 ※) ※( )内は20名以上の団体料金 ●高校生以下・障がい者手帳をお持ちの方:無料 ・学生の方は大人(一般)より100円引きです。学生証をご提示ください。 ・特別公開や催事については、別途料金が必要となります。 |
お問合せ先 | TEL 075-752-3277 |
ホームページ | |
補足情報 | 【休館日】 |
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