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第6回 近江と龍馬(1)

~龍馬と近江の深いつながりに迫る~

特定非営利活動法人 京都龍馬会理事長 赤尾博章

坂本龍馬ゆかりの地といえば、京都はもちろん、長崎、高知、鹿児島、東京などがあげられます。京都のとなり、近江も忘れてはいけません。龍馬の先祖は明知光秀の一族で、その姓「坂本」は、光秀の城下町「近江坂本」によるという逸話があります(弘松宣枝『阪本龍馬』1896)。

龍馬も見たであろう琵琶湖と比叡山

龍馬も見たであろう琵琶湖と比叡山

 近江は交通の要所でもあります。江戸へゆくにも、越前にゆくにも近江を経由します。龍馬が何度も通ったことはまちがいありません。19歳の折に龍馬は初めて江戸へ剣術修行に行きますが、それ以来幾度となく近江を通ったでしょう。龍馬の手紙の中に唯一近江を通ったことが記載されているものがあります。亡くなる三週間前の慶応3年10月24日付 岡本健三郎宛の手紙で、岡本健三郎に大津へ先触れを出すよう伝えています。福井の三岡八郎に新政府の財政問題を相談に行ったときです。

龍馬をささえた近江出身の人たち

 龍馬をささえた人たちの中にも近江出身者がいます。
寺田屋登勢は大津市山本重助の次女であると登勢の子息七代目寺田屋伊助が述べています(『寺田屋伊助申立書』1906)。
  明治維新人名辞典(日本歴史学会編 1981)には「父は大津の旅館主大本重兵衛、二女。六代目寺田屋伊助の妻」とあります。
  京都府伏見町誌(1929)には「近江大津大本重太郎の次女、十八歳にして伊助の妻となる」と記載されています。

今も賑わいをみせる菱屋町商店街

今も賑わいをみせる菱屋町商店街

 お登勢を題材とした小説の中では「大津の米問屋山本重助の娘お登勢」(徳永真一郎『寺田屋お登勢日記』1973)とあります。
 出典は不明ですが『近江の女』には「大津市菱屋町の人。お登世は山本重助の娘に生まれ、十八歳の時、伏見の船宿、寺田屋の六代目伊助のもとに嫁いだ。姑のお定に仕え、義妹の椙の面倒をよく見、忙しい船宿のおかみとして、すべてをきりもりしていた。お登世は自分の子女教育はおろか、他人の面倒までよく見て、そのため門前に捨児をされたこともある。遊郭の女郎の足抜きをして救ったり、義侠心にも富んでいた。

薩摩藩の定宿であったため、勤王の志士がお登世を頼ってきた。中にはかくまってもらって帳簿を手伝い、後大臣になったような人もいる。特に土佐藩の坂本龍馬は永らく滞在して、後に自分の妻になったお龍を預けていたこともある。慶応二年(一八六六)一月二十二日の夜、薩長連合の密約をあっせんして成功させた。坂本龍馬が長州藩の三吉慎蔵と宿泊中、伏見奉行所の役人数十人がふみこんできた時、お登世はいち早く二階の龍馬に知らせ、お竜も入浴中はだかで龍馬に知らせた。龍馬は指にけがをしたが無事に脱出した。慶応四年正月の鳥羽伏見の戦いで寺田屋も類焼したが、薩摩の西郷らの援助もあってすぐに復旧した。明治十年九月七日お登世は僅か一晩の患いで急死した。四十八歳であった。」と書かれています。

旧鹿関町を示す碑

旧鹿関町を示す碑は
琵琶湖疏水沿いに建っています

 西尾秋風『坂本龍馬謀殺秘聞 (私家版)』(1987)には以下の記述があります。
「幕末から明治なかばまで生存した西村長兵衛という人物が、その二十一歳のころ、一念発起して京力士の初島七蔵の部屋に入門したが、そのとき『四歳年長の同じ大津出身で関西小結をとっていた雲井龍こと藤吉を目当てにして頑張った』と後日、弟子たちに語っていたそうである。その後、磯風音次郎と名乗り、昇進して関西横綱にまでなったが、明治二十七年廃業、現在の逢阪二丁目あたりで米屋を営み、かたわら磯風部屋を開いて後進を指導していたが、稽古のとき口ぐせのように『お前らの先達、小結雲井龍を目指せ』とか、『藤吉みたいに頑張れ』と弟子たちを叱咤激励していた、という。」

 龍馬らが亡くなった「近江屋」も名前の通り近江にゆかりがあります。龍馬の妻お龍の母貞も近江の出身です。またお龍が後に再婚する西村松兵衛も近江の人です。このように龍馬の周りには近江にゆかりのある人々が多いことがわかります。
 近江の龍馬ゆかりの地にも石碑を建てようとする活動があります。京都のみならず近江にも龍馬ファンが訪れるよう期待しています。

京都の「龍馬の足跡」を巡る旅はまだまだ続きます。
第7回にもご期待下さい。

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琵琶湖疏水 鹿関橋周辺へのウォーキングルート

滋賀県大津市大門通

  • 京阪石山坂本線「三井寺」駅下車。
    琵琶湖疏水沿いを三井寺(園城寺)方向へ

サン・クロレラ 私たちは自然の恵みを通して、健康寿命を延ばす、真の健康社会を目指します。


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