TOP  > 京都を知る・学ぶ  > 源氏物語発見  > 第一話 北山の春 紫上(むらさきのうえ)

源氏物語発見

 若紫巻はヒロイン登場の巻である。都の桜は散っても北山の桜は花盛り。小柴垣からのぞく光源氏の視界の中に少女が走り出る。 まるで宝塚の舞台のようだ。ほほを染めている。「可愛がっていた雀の子を犬君が逃がしてしまったの」。彼女は腹を立てているらしい。 その時、こどもは大勢いたのだが、光源氏には少女しか見えない。なぜかといえば「あの人」に瓜二つであったからだ。 さて、「あの人」とは誰のことか。

源氏物語発見第一話イメージ写真
 それは、その後の光源氏と少女の祖母との会話で明らかになる。この少女の父親は兵部卿(ひょうぶきょう)であるという言葉がさりげなく祖母の口から出る。 この瞬間、光源氏は納得する。が、読者が納得するには、桐壺(きりつぼ)巻を読んでいて、藤壺(ふじつぼ)の兄が兵部卿であったことを記憶していなければ ならない。たった一行だが、これは源氏物語の初期を理解するための生命線でもある。実は源氏物語本文では、この若紫巻まで藤壺の名は一切触れられていない。 註つきの源氏物語では早くから「あの人=藤壺のこと」と説明されているため、現代の読者はこの感動は得にくいかもしれない。

 しかし、註のない源氏物語原文の読者にとって、「あの人」が母桐壺更衣(きりつぼのこうい)に生き写しの義母藤壺であったとここで知ることは、 それ自体が感動的であり、その感動は、さらに新しい知見と感動に連動している。

 もう少し先を読むと、光源氏と藤壺はぬきさしならぬ関係が描かれていて、あまつさえ彼女は光源氏の子を宿す。この驚天動地の夏の出来事が若紫巻の真ん中に書いてあるのである。 桐壺巻の時点で、光源氏と藤壺の関係は、少年が母に似た美しい義母を慕う淡い気持ちであった。しかし、六年後のこの巻では収拾のつきそうにない修羅場と化しているのである。 となると、途中の巻(帚木〈ははぎ〉・空蝉〈うつせみ〉・夕顔)が問題となる。が、肝心の藤壺は出てこない。わずかにそれと思わせる箇所は、帚木巻「雨夜の品定め」の最終場面。 どんな女性が理想の女性であるかの侃侃諤諤(けんけんがくがく)の論義の果てに光源氏の脳裏に浮かんだ想念に着目しよう。「それにしても『あの人』のような人はいないなぁ」。

 そうだったのか、とここで振り返れた人は、帚木巻前半の「雨夜の品定め」の女性論が藤壺を語っていることに気づくだろう。 さらにいえば、その後半に展開される、人妻空蝉との夏の夜の出来事は二人の出会いの暗示ではないか。暗示はそればかりではない。 光源氏を愛しながら光源氏を激しく拒む空蝉の苦悩は藤壺の苦悩そのものだし、夕顔巻で展開される、白い花のような不思議な女の圧倒的な魅力は、 藤壺のそれにほかならない。と、大雑把に考えるだけでも、「藤壺を語らずに語る」源氏物語初期のダイナミズムに読者は戦慄するはずである。

 この愛らしい北山の少女は、沈黙のヒロイン藤壺を読み解く糸口にすぎない。今のところはそうである。 光源氏は桐壺巻にすぐ登場する。が、読者が光源氏以上に愛する絶対のヒロイン(北山の少女、後の紫上)はなかなか登場しない。 待ちに待って、五巻目にようやく登場したと思ったら、この始末。

 が、諸君、焦ることはない。源氏物語は、われわれの人生のように短くはないのだし、そして浅いこともない。 さらに言えば、藤壺を語らなかったのは、紫上を語るためなのだから。
 
 
ゆかりの地へのアクセス

 この北山の舞台が鞍馬山であるということは古来の通説であったが、近年、大雲寺や霊巌寺説も提出されてる。 しかし、漂う神仙的雰囲気からして古説に賛同したい。

 鞍馬寺には、京阪電車で出町柳駅に行き、そこから叡山電鉄鞍馬線に乗り換える。30分ほどしたら終点鞍馬駅に着く。 仁王門はすぐそば。ここから都の北を守る毘沙門天を祀る本殿金堂までは有名な「九十九折れ」の山道。 ぜひ歩いてもらいたいが、30分ぐらいかかる。足に自信のない向きはケーブルカーを利用するとよい。多宝塔駅まで2分。 そこから石畳の道を10分歩けばよい。金堂から貴船明神に出る「木の根道」もある。これは約1時間。 牛若丸の気分が味わえるが、山道を歩き慣れている人以外は止めておいた方がよい。


オススメ本
無題ドキュメント