【第6回】床の文化と京町家
この季節に、鴨川沿いや貴船に行くと川床(納涼床)が出ています。床から見る景色は河原にいるときよりずっと美しく、その川の流れは心を穏やかにしてくれます。ところで、この「床」が、町家の構造から町並み、都市空間の成り立ちまで、すべてを解くカギを握っているようですよ。 ところが、日本においては、実際の壁ではなく、精神的に領域で境界を認識するんですね。たとえば、注連縄(しめなわ)で囲んだだけで、そこには神聖な領域ができるように・・・。これは、かなり曖昧な空間認識なんですね。そんなわけで、床の文化を持つ日本で、町並みを揃えるには、かなり不都合な特性があるということを、私たちは知っておかねばなりません。 さて、皆さん、お気付きでしょうか。ここまでは欧米と日本の文化の比較です。京都は、もちろん、このような日本の床の文化を先導して育んできたのですが、よく考えると、京の町家はどちらもその要素を持っているじゃありませんか。それが、「ハレとケ」(第一回「京都人と京町家」参照)を両立させ、内から眺める文化だけでなく、外から眺める文化も形成してきたということなんです。これは世界的に見て非常に稀なケースといえます。 また、それを裏付ける話ですが、欧米では、道路に名前をつけて、順番に住居番号がつけられます。ですから、はじめて行った土地でも住所から簡単に所在を探すことができます。それに対して日本の場合、領域で街区ごとに名前をつけられているため、住所から所在をつきとめるのは至難の技ですよね。ところが、京都の中心街では、数年前に郵便番号が7ケタ化したときに、たしか一応整備されたように思いますが、たとえば、「四条烏丸東入ル」。これが今でも住所として通用してるんです。東西の通りの後に、北は上ル、南は下ル、東西へは入ル。これだけで、済んでしまうんですよね。そうそう、そうなんです。もうおわかりですね。このように、日本の他の地域とは違い、通りを中心とした町・京都では、町家は外観は欧米と同じように線的な曖昧な壁によって連続性のある町並みを形成し、かつ一歩内部に入ると日本的な床の文化が謳歌できる、バランスのよい優れた多面性を持っているといえるでしょう。 前にもお話したように、町並みを形成するのに重要であった、通りと家屋との関係が薄くなってきた今日では、床の文化という内部思考だけがいびつに発達し、バランスを崩してしまったのではないかと思います。これは、町家という形式を保存するか否かというものではなく、都市を構成する建築の内観と外観の調和性が問題なのではないでしょうか。もしかすると、それは現代建築でも、たとえそれが高層建築であっても、町家と同じように連続性のある美しい町並みを形成することはできるんじゃないかと、ひとりの京都人として建築家として思っています。 参考文献:「続・街並みの美学」 芦原義信著 岩波書店 京都芸術デザイン専門学校専任講師 冨永りょう
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