vol.1 日本最大のハイカラ食堂誕生
vol.2 「洋食の大衆化」という使命からの解放
◆デパートの大食堂に日本の食のグローバル化の足跡をたどる vol.1◆
かつて日本人にとって外国がまだ遠い存在だった時代、デパートの大食堂のメニューは、庶民の憧れの的だった。70年前から、ハイカラな洋食が大反響を呼んだという。大阪・梅田の阪急百貨店の大食堂をたずね、日本の食のグローバル化の足跡をたどってみた。
日本最大のハイカラ食堂誕生
昭和4年4月、阪急電鉄の拠点、大阪梅田駅に世界初のターミナルデパートとして開業した阪急百貨店。その最上階の7・8階に大々的にオープンした大食堂は、総合的エンターテインメントを目指す百貨店の目玉であった。当時、百貨店といえば老舗の呉服店系が主流を占め、電鉄会社を母体にしたターミナルデパートは少なかった。その経営戦略は、デパートとしての高級感、ハイカラ感を出しながらも、当時、1日約12万人といわれた阪急・梅田駅の乗降客を顧客ターゲットにしたものだった。
まだ庶民には高嶺の花だった洋食を廉価で取り入れたことも、阪急梅田大食堂が人気を呼んだ一因だった。メニューには、カツレツ、コロッケ、ポークチャップなど、ハイカラな洋食の名が並んだが、中でも爆発的にヒットしたのが、ライスカレー(コーヒー付き)。創業から70年を経た今も、大食堂の名物料理として、当時のままのレシピで根強い人気を集めている。
開業当初一律25銭で売り出された洋食メニューは、翌昭和5年には20銭に値下げされたという。昭和10年当時のメニューを見ると、ビフテキもオムレツも20銭で、この時代、卵料理はまだ高級食であったようだ。ちなみに、ざるそばが10銭。生ビール大ジョッキは50銭で、生ビール大コップ、国産ウヰスキー、一合酒が20銭。料理に比べると酒類はかなり割高な印象である。当時は夜10時までの営業で、現在の食堂街との違いは、男性客の姿が多かったことだ。ここで洋食をつまみに酒を飲むことが洒落ていた時代である。 大食堂は連日、大盛況で、デパート全体の集客装置としても大きく貢献した。
昭和11年の増築で、日本最大の「マンモス食堂」に発展した当時の一番の人気メニューは、30銭のハイカラな定食「ランチ」。エビフライ、ミンチボール、ライス、コーヒー付きで、一日に1万5千食が売れ、続いて名物のライスカレー、カツカレーが人気を集めた。長い行列が路上まで伸び、最盛期には1日に6万5千人が食堂に訪れたといわれる。こうしてうめだ阪急の大食堂は、まさに時代のニーズに応えるかたちで、日本の洋食文化の普及に大きな功績をあげたのである。
vol.2 「洋食の大衆化」という使命からの解放
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